宮本聖子
東京音楽大学ピアノ演奏家コースを経て、ベルリン芸術大学を最優秀の成績で卒業。
その後同大学国家演奏家資格コース修了。
1996年ペスカーラ国際ピアノコンクール入選、審査員特別賞受賞。
1999年日本演奏連盟オーディションに合格しいずみホールにてデビューリサイタル。
2000年セニガリア国際ピアノコンクール入選。2008年第2回神戸芸術センター記念ピアノコンクール銅賞。
留学中より日本、ドイツ、イギリス、アイルランドで演奏活動を行う。
現在大阪を拠点にソリスト、室内楽奏者、伴奏者として活動するとともに
相愛大学音楽学部講師として後進の指導にも当たっている。
ピティナピアノコンペティション、クラシック音楽コンクールなどのコンクールの審査員やピティナステップのアドヴァイザーも務める。
ベルリントリオ、デュオMOON STONESメンバー。
2017年より取り組んだベートーヴェン室内楽シリーズが好評を博し、現在はベートーヴェンのピアノソナタを軸としたソロリサイタルシリーズ「ベートーヴェンとともに」を展開中。
趣味である書道を始めとする和の文化とクラシック音楽の融合を目指し、「ベートーヴェンとともに」シリーズではテーマに即した書の作品を毎回制作し展示している。
[好きなもの]犬とパンダとコーヒー
[趣味]書道と仏像鑑賞。最近はよく奈良のお寺巡りをしています。
私の書の作品はこちらから
Moon Stones CD
MOON STONESファーストアルバム
MOON STONES ~ピアノとヴァイオリンによるDuo~
収録曲
C.サン=サーンス:ヴァイオリンとピアノのためのソナタ 第1番 ニ短調 作品75
C.フランク:ピアノとヴァイオリンのためのソナタ イ長調
MOON STONES: 宮本聖子(ピアノ) 馬渕清香(ヴァイオリン)
録音:2019年2月19-20日 寝屋川市立地域交流センター アルカスホール
製作:花音楽企画 録音・販売元:コウベレックス/51分53秒 3000円(税別)
HPからご購入の方は2500円(税・送料込み)に割引いたします!
ベルリントリオ (Vn.宮田英恵 Vc.石田聖子 Pf.宮本聖子)
2014年1月、ベルリン留学経験のある3人の奏者により結成。
関西を拠点に大阪、東京、名古屋、長野などで演奏会を重ねて好評を得ている。
2015年度より(公財)アフィニス文化財団のアフィニスアンサンブルセレクションより助成を受け、
2019年3月JTアートホールアフィニスで行われた特別演奏会に出演、好評を博す。
朝日新聞厚生文化事業団主催「ゆうゆうビジット」のアーティストとして日本全国の高齢者施設を訪問し音楽を届ける活動も行っている。
私のピアノヒストリー
第1章 ピアノを始めたきっかけ~音大進学まで
5歳よりピアノを始めました。
山深い田舎育ちのためピアノを習えなかった母の大きな憧れを背負い
母からのスパルタ教育を受けて、毎日泣きながら練習していました。
あまりに泣くので「練習で泣かなかったら10円あげる」と言われて
犬の貯金箱に10円玉を入れたことが最初のピアノの思い出です(笑)
それでもピアノをやめたいと思ったことは1度もなかったので、よほど好きだったのでしょうね。
小1からはソルフェージュ教室にも通いました。
先生も変わって、幼いながらも音大に行くことを夢見てピアノに一生懸命取り組む日々。
とはいうもののよく遊んでいたし、お勉強もちゃんとして結構優等生でした。
中学生になってもかなり学校の成績が良かったので
幼少のころあんなに厳しくピアノを練習させたのに
親に音楽の道に進むことを反対されました。
「芸事は3代続かないとモノにならない」
「お金がかかる」
「音楽で食べていくのは大変」
などの理由でしたが
反対されればされるほど天邪鬼気質が沸き上がってきて
「私は音大へ行く!」と決意。
高校は普通科に行きましたが
高校3年生の時全日本学生音楽コンクールの大阪大会で第2位に入賞。
そして東京音楽大学のピアノ演奏家コースに進学しました。
大学在学中は「大食いの横綱」という称号が与えられるだけでなく
ピアノでも1年間学費免除をしていただけるほど上位の成績を残し
伴奏や室内楽をする友にも恵まれ充実した音大生活を満喫しました。
第2章 転機 ベルリン留学
しかし卒業を控え
「このままでは演奏活動するのもピアノの先生になるのも自信もないなあ。
もうちょっと勉強したいなあ。留学したいなあ」
と思うように。
当時師事していた先生に
「ドイツに留学したいのですが」と相談すると
「ミュンヘンかベルリンに行きなさい」と言われて先生探しを始め
ベルリンの先生とご縁がつながったので音大卒業と同時に渡独しました。
そして意気揚々とドイツに留学をしたのですが
そこから試練が始まりました。
ドイツでも有数の名門、ベルリン芸術大学に運よく入学できたものの
そこには音楽雑誌で見るようなスターたちがたくさん勉強しに来ていました。
私の実力では全然太刀打ちできない。
こんなにうまい人たちがたくさんいるのに
「こんな下手くそな私がピアノを演奏する意味はあるのだろうか?」
という劣等感に苛まされるようになりました。
そして試験やコンクールなどでは
「君の演奏は面白くない」
「退屈」
「聴衆と君の間に透明の壁があって君が何を言いたいのか何も伝わって来ない」
と酷評を受けました。
「なんで面白くないの?」
「なぜ心を込めて弾いているつもりなのに伝わらないの?」
自分の能力への不安とコンプレックスにまみれながら思い悩む日々でした。
そこから抜け出るヒントを与えてくれたのはドイツ人の学生たちの演奏でした。
もう四半世紀ほど前の話なので今は少し変わっているかもしれませんが
当時のドイツ人は小学生になってから楽器を始める人が殆どでした。
日本人のように小さいころに仕込まれていないのでテクニックはあまりないのですが
音楽への愛情が深く、知識も多く
音楽について語りだすと止まらないほど主張すべきものをたくさん持っていました。
技術的に弱いところはあっても演奏に愛情や主張が沁みだしてくる
心に訴えかけてくる彼らの演奏に触れて心を動かされ
「私に足りないのはここなのだ」
と気づきました。
それまでの私はきちんと正しく弾くことが目標で
自分が何を音楽で伝えたいか考えたことがなかった。
どうしてそう弾きたいのかの裏付けもなくただ弾いているだけで
自分が演奏することの意義を考えたこともなかった。
それからの私は演奏で何を自分は伝えたいのかを常に考えるようになりました。
そして周りのようなスターでなくても
「私が私として演奏を通して伝えたいメッセージを伝えることに意味がある」
と自分の演奏の意義を見つけ
音楽を通して伝えたいことが増えてきました。
そして「面白くない」と言われることはなくなっていきました。
コンサートで「感動した」「元気をもらった」という感想もいただけるようになりました。
第3章 2つの国で学んで
ドイツ人の学生の演奏に私は憧れを抱きましたが
彼らは逆にテクニックがままならないことに不満とコンプレックスを感じていて
「日本人はテクニックがあってうらやましい。」
とよく言っていました。
2つの国で学んだことによって
それぞれの国の音楽教育の長所と短所を見ることができたからこそ
日本とドイツのいいとこどりをして
知性と感性と技術のバランスを大切にしたアプローチで
心とテクニックを融合させ、思いをより深く繊細に表現できるようにすることが
私自身の演奏において常に目指すところであり
そうできる人を育てて次世代につないでいくことが指導者としての役目だと思っています。
そして演奏と指導を通してクラシック音楽のすばらしさを伝え
音楽とともにある心豊かな未来を育てる活動をこれからもしていきたいと思っています。